軍艦島 其ノ六


取り合えず地獄段を昇ってみる事に。
場所:地獄段


取って付けたかのようなとんでもない造りの階段だ。
場所:地獄段


なぜか迷ってしまった……。
友人Sの姿も随分前から見ていない。
目の前に木造の危うい橋がある。
取り合えず渡ってみるが60kgには耐えれるらしい。
もし落ちていたらこのレポートは永遠に書かれる事は無かっただろう。
場所:架け橋


行きたい場所に行けない。
見えている場所に行けない。
昇り降りを繰り返し過ぎて足が痛い。
こんなに狭いのに何故迷子…?
場所:住居区


やっとこさ丘の上まで続く階段を見つけたので昇る。
場所:丘の上に続く階段


丘の上に到着した。
既に太陽は沈んでしまった。
刻々と辺りは闇に包まれていく。
場所:丘の上


灯台に辿り着いた。
灯台は今でも使われている。
到着した頃には既に灯台は光を放っていた。
場所:灯台


灯台は造りが新しい。
扉は南京錠が設置されていて開ける事はできない。
場所:灯台の扉


太陽電池で灯台の電力を供給している。
場所:灯台の太陽電池


暗くなってきた。
あと十分もすれば真っ暗闇になってしまう。
流石に暗闇の中を歩き回るには危険過ぎる場所なので拠点にしている小中学校の運動場に戻る事にしよう。
場所:丘の上


建物と建物の隙間は完全に真っ暗闇だ。
場所:住居区通路


骨組みだけになった建物のシルエットが綺麗だ。
場所:端島炭鉱跡周辺


ベルトコンベアのシルエットだ。
そろそろ景色の撮影ができない程に暗くなってきた。
場所:ベルトコンベア


拠点にしていた運動場に到着。
今まで芸術的に見えた廃墟群がおどろおどろしく見える。
世界が闇に包まれた軍艦島は新たな顔を見せた。
再度、校舎の中に入って屋上まで足を運んでみよう。
懐中電灯は必須だ。
場所:端島小中学校跡運動場


校舎の玄関に貼られた出身者のお願い。
私も同じ立場なら例え使われなくなったとは言え母校を荒らされるのは辛い。
自然に還るまでそっとしておいて欲しいと願うだろう。
だから私は何にも触る事無くこの場を去りたいと思う。
この情景を写真として残す事ができればそれで十分満足だ。
場所:校舎入口


再び校舎の屋上。
灯台の灯りと廃墟のシルエットだけが僅かに見える。
そろそろ船着場に戻って漁船の迎えを待つとしよう。
漁船は夜七時の到着予定だ。
場所:校舎屋上


行きにも通った岸壁の上を歩き船着場に向かう。
右は海面まで10メートルほどでテトラポッドが散乱しており落ちたら多分死ぬ。
左は地面まで6メートルほどで落ちたらかなり痛い。
50センチほどの幅があるとは言え暗闇の中でこの岸壁の上を歩くのは少し恐い。
場所:岸壁の上


行きに昇ったハシゴを降りて船着場に。
暫くして漁船が私達を迎えに来た。
満潮で波が若干高かったが無事に乗船する事ができた。
場所:北側の船着場


その後、私と友人Sを乗せた漁船は高島のフェリー乗り場に到着した。
漁師さんに報酬を渡しお別れをする。
そして長崎港行きのフェリーに乗って帰路へと着いた。
本当は軍艦島で一泊する予定だったのだがその日は真冬並の寒さだった為に止む得ず日帰りにしたのだ。
とは言え今日はとても思い出深い一日となった。
場所:高島フェリー乗り場


この土地には日本がまだ高度成長期だった頃の活気の面影が残っている。
大雑把な時代だったけど今よりもっと人々の笑顔があった。
そんな時代背景が反映してか軍艦島は通常の廃墟で見る暗い部分は無く何処と無く明るくそして暖かいのだ。
例え朽ち果てて荒れていようとも廃墟は当時の人の生活、そして心までをも映し出すものである。
もし軍艦島が二十年遅く閉山になっていたのなら今のような姿では残っていなかっただろう。
不景気に飲まれ悲しみの痕跡が残る土地になっていたかも知れない。
昭和49年、黒字のままの閉山が良い形で軍艦島を残す要因となったのだろう。
軍艦島は正に廃墟美の最高峰と呼ぶに相応しい場所だ。
この先、私が軍艦島に訪れる事は無いだろうがこの日の思い出と写真は大切に残していこうと思う。
貴重な体験を…思い出深い一日を有難う。



本編未収録!軍艦島写真集(約200枚)


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