軍艦島 所在地:長崎県高島町端島 探索日:2003年11月23日 昔の炭鉱で現在は島全体が廃墟と化している。 1870年頃から採炭が始まり1974年に閉山。 小さな島に所狭しと建ち並ぶ高層建築物の群。 軍艦のような外観から軍艦島と名付けられた。 国内最高峰の歴史的な廃墟群である。 |
軍艦島の歴史を触り程度に紹介しよう。
正式名称は端島(はしま)で戦艦「土佐」に似ている事から軍艦島と呼ばれるようになった。 1810年(文化7年)に初めて石炭が発掘される。 1870年(明治3年)に開抗。 1890年(明治23年)に三菱社が炭鉱を買収。 1916年(大正5年)に日本初の鉄筋アパートが建設される。 1945年(昭和20年)に第二次世界大戦の最中、米軍に幾度かの爆撃を受ける。 1974年(昭和49年)、エネルギー転換政策の推進に伴い黒字ではあったが閉山が決まり無人島と化す。 軍艦島は全長480メートル、幅160メートルほどの小さな島だ。 そんな小さな島に五千人以上もの人々が暮らしていた時代もある。 ピーク時は東京の約十倍の人口密度もあり世界で最も人口密度が高い土地であった。 驚異的な人口密度の為、軍艦島に住む事ができず近くの半島から通勤していた労働者もいた。 その人口密度の高さ故に地上から地下に至るまで土地は利用し尽され高層の建物が所狭しと密集している。 そんな狭い土地ながら施設の方は非常に充実していた。 教育施設では幼稚園や小中学校、娯楽施設では映画館やパチンコ店,居酒屋,テニスコート,プール,雀荘などまで揃っていた。 もちろん病院や郵便局,消防車庫,派出所,町役場など暮らしに欠かせない施設も充実していた。 お風呂に関しては各部屋毎には設置されておらず共同浴場が主流であったが人口の割にその数は少なく労働者用の共同浴場の水は常に真っ黒だったと言う。 基本的な施設は揃っていたが異常なまでに高い人口密度による暮らしへの弊害は数多くあったようだ。 火葬場や墓地などは軍艦島には無く引き取り手のいない無縁仏などは近隣の島で埋葬された。 軍艦島は心霊スポットと言うよりも歴史的廃墟である。 一般的な心霊スポットより迫力はあるがアクセスの困難さからメジャーな心霊スポットにはならないだろう。 肝試し感覚で訪れる人はほぼ皆無で廃墟観光か釣り目的で訪れる人のみである。 現在、軍艦島に行く正規のルートは存在しない。 長崎港からの観光船や海上タクシーに乗って軍艦島を周遊する事は可能だが上陸はできない。 個人で漁業を営む漁師を交渉して漁船をチャーターして行くしか術は無いのだ。 漁船は軍艦島に最も近い島である高島でのチャーターが効率的だ。 2万円ほどで交渉すればほぼ確実と思われるが相手次第,交渉次第ではもっと安くチャーターできるだろう。 基本的には軍艦島の立ち入りは禁止されているので交渉から現地での行動に至るまで終始注意が必要だ。 そして最も注意すべき点は現地での事故だ。 転落,崩壊により命を落としかねない場所が多々ある。 慎重な行動が要求されるだろう。 今回は友人Sも同行して二人で軍艦島の取材を試みた。 軍艦島に上陸できる確信は無いまま長崎港からフェリーにて高島へ行く事にした。 軍艦島目当てで遥々長崎までやって来たのだから何としても取材を成功させたいところだ。 |
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