隙間


私が中学一年生の頃に住んでいた家は昭和初期の頃に建てられた木造の古い家だった。
一軒家の借家だったのだが3LDKで何と月々5000円。
知り合いを通じての物件だったからとにかく安かった。
汚いし傾いているしで文句を付けたらキリが無かったが安くて広いのだから我がままは言えない。

ただ、その家に引っ越ししてきてからどうしても一つだけ気になっている事があった。
私の部屋の隅っこには押し入れがあるのだが…
私が朝起きると必ずその押し入れの襖(ふすま)は少し開いていて隙間ができているのだ。
押し入れの襖はしっかりと閉めてから寝ている。
なのに朝になるといつも隙間ができている。
「建て付けが悪いからか?」
などと無理やり自分の中で納得させていた。

ある日の晩、私はなかなか寝付けずに部屋の電気は消したままで布団の中でぼーっとしていた。
午前一時を過ぎたくらいだろうか…。
突然の出来事だった。
ガタガタ!
いきなり大きな物音が聞こえてきた。
私は驚いて布団から顔を出した。
するとまた…
ガタガタ!ガタガタ!
と何かを揺らすような音が聞こえてきた。
ガタガタ!ガタガタ!ガタガタ!
その音は止む気配が無い。
聞こえてくる方向をたどると例の押し入れの方からだ。
暗闇の中、私は目を凝らしてその押し入れを見ると…
なんと襖の隙間から四本の指が出ているではないか。
その指が襖を空けようとしているらしくガタガタと襖を揺らしていたのだ。
襖が少しずつ開いていく…。
少し襖が開くとその隙間から長い髪をだらりと垂らした女性がこちらを覗き込んでいるのが見えた。
あまりの恐怖に私は逃げ出そうとしたが体を動かす事ができず声も出せなくなっていた。
「押し入れから出てくるな!」
私は心の中でそう叫んだ。
ガタガタ!ガタガタ!ガタガタ!
私の心の叫びも虚しく押し入れの襖は少しずつ少しずつ開いていった。
少し開いた襖から無理やり顔を出してきた女性は恐ろしい眼差しで私を睨み付けてきた。
「もう駄目だ…。」
私は自分の体の力が抜けていくのを感じた。

ふと気付くと音は鳴り止み押し入れの隙間から出ていた指も女性の顔も消えていた。
どうやらあまりの恐怖に私は気絶してしまっていたらしい。
夢かと疑ったが押し入れの襖はいつもより広く隙間ができていて夢で無かったと実感する。

その後、すぐに私は部屋を移りその部屋はあかずの間とした。
それ以降はその部屋を一度も見ていない。
あの部屋に私がいた当時は毎晩のように襖をしっかりと閉めていた。
しかしあかずの間になってからは誰も襖を閉める人はいない。
もしあれから毎晩少しずつ襖が開いていつか女性が通れるくらいの隙間ができていたとするなら…
あの女性は夜な夜な押し入れから出てきて家の中を徘徊しているのかも知れない…。


ここからは後日談になるが…
最近になってここの大家さんにこの話をする機会ができた。
大家さんは少し言葉に詰まりながらも語りだした。
「あの襖の裏にお札(ふだ)が貼っとったやろ?」
「いや、知らないですけど…。」
「あれ、君のお母さんには話したんやけどなあ。聞いとらんか?」
「……。」
確かあの家で家族の部屋割りをしたのは母だ…。
大家さんは私の気持ちを察してか少し気まずい顔をしたがそのまま話を続けた。
「多分、そのお札が古くなっとったんちゃうやろか。」
「あそこで何かあったんですか?」
「先代から聞いた話やけどな…あそこに住んどったお嬢さんがあの家で重病を苦に自殺されたらしくてなあ、それから毎晩のようにお嬢さんの幽霊が現れるようになったらしいんやわ。」
「………。」
「家の者は気味悪がって成仏させようとしたんやけどお嬢さんの父親が別れを惜しんで何を思ったんか使っとらん押し入れにお嬢さんの霊を閉じ込めたんやと。」
「今まで成仏されないままでいたわけですか…。」
「当時の人間はもう生きとらんし、ワシも幽霊なんて信じとらんクチやったから。ほんま、君には迷惑かけたのぉ。」

その話を聞いて私はやり場の無い気持ちになった。
彼女は成仏できずに苦しんでいたのだ。
それを私に伝えたくて毎夜のように襖を開けるという行為を繰り返した。
私が彼女を目撃した夜、襖がいつもより広く開いていたのは彼女がなけなしの力で私に伝えようとした証拠だろう。
あの時の彼女の気持ちを思うと胸が痛む。

それから数日後、御祓いを受け彼女は成仏する事ができた。
死しても尚、この世に留まり続ける事の辛さは生きている私には分からない。
しかしあの夜に見た彼女の悲痛に歪んだ顔を思い出すとその辛さが少し分かる気がする。



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