柳幽霊


私がまだ幼稚園に通っていた頃のお話。
私の家の前には道路を挟んで大きな木が立っていた。
朝、幼稚園に行く時に家を出るといつもその木の下に女性が立っているのが見えた。
「お母さん、あの人はいつも何やってるの?」
「え?どの人?」
私がその女性を指しても何故か母は気付かない。
少し不思議に思ったが幼い私はそれほど気にはしなかった。

雨の日も傘を差さずにその女性はいつもと変わらずそこにいた。
その女性は白い服を着ていて首が少し変な方向に曲がっていた…というのだけ覚えている。
半年くらい経ってもその女性は何だ変わりなくそこにいた。

ある日の朝、家を出るとその女性は私の方をずっと見ていた。
私はぺこりと軽くお辞儀をした。
彼女もお辞儀を返してきた。

次の日の朝、家を出ると彼女はいつもの場所にいなかった。
半年間、来る日も来る日も変わらず木の下にいた彼女が初めてその姿を見せなかった。
私は少し不思議に思った。
「明日はいるだろう。」
私はそう考えていた。
しかし次の日もそこに彼女の姿は無かった。

それから暫く経ったある日の事、一人で部屋で遊んでいると後ろの方から物音がした。
振り返ると部屋の隅に彼女が立っていた。
彼女は軽くお辞儀をした。
私もぺこりとお辞儀を返した。
どこから入ってきたのかいつからそこにいたのか不思議に思ったが幼い私はあまり気にしなかった。
暫く彼女はそこにいて遊ぶ私をじーっと見ていた。
少し恨めしそうな表情で私を見ていたのを覚えている。
母が部屋に入ってくると同時に彼女はいなくなった。

その後も私が遊んでいると彼女はしばしば部屋の隅に現れた。
「一緒に遊ぶ?」
私は彼女に声を掛けた事もあったが反応は返ってこなかった。
意識があるのか無いのか恨めしそうな表情で私を眺めているだけだった。
一ヶ月も経つと彼女はぴたりと姿を現さなくなった。

これが私が記憶する中で最も古い不思議なお話である。


ここからは後日談になるのだが…
あれから十年以上も経ったある日、ひょんな事から母とこの話になった。
母は幼い私が誰もいない木の下を指して「あの人、何やってるの?」と言った台詞がずっと気になっていたらしい。
母に聞かされて初めて知ったのだが例の木はどこからか移植されたものだったようだ。
移植された時はまだ私は生まれていなかったので私が知るはずも無かった。
その木が移植された当時、私の家の近所ではある噂が流れていたらしい。
母は少し脅えながらもその噂の内容を私に語ってくれた。
とある場所で一人の女性が精神異常を来たしマンションから飛び降り自殺をしたらしい。
その女性が落ちたところのすぐ側には大木があった。
その木は大量に流れた彼女の血を吸ったらしく、周囲の住民からは彼女の魂が宿った木として恐れられた。
その後、その木の下で女性の幽霊を見かける人が増えた為、近隣の住民は木の処分を市に要請した。
しかし、どういう訳かその木は伐採はされずに移植という形で市は対応した。
移植された理由はその女性と移植先の土地…
つまり私が当時住んでいた家の前の土地と何か深い関わりがあったらしい。
移植の指示を出したのは地元では有名なある霊媒師だったと言う。
母の話によると、木が移植される三年程前…
家の前で幼い子供が大型トラックに跳ねられる交通事故が起きたらしい。
跳ねられた子供は救急の余地も無く即死だったようだ。
その子供の母が自殺した女性と同一人物では無いかと言う噂が当時、近所で広まっていたらしい。
全て同じ市内での出来事ならこれらの噂もあながち嘘では無さそうだ。

その噂が事実だとして…
何故、先立った我が子を追ってあの世に行かず彼女の魂はこの世に留まったのか。
ここからは私の推測なのだが、恐らく間違っていないと思う。
上手く言えないが彼女を見掛けた時の印象と言うのだろうか…
その時に彼女から強く感じていたものがあった。
「彼女は何かを探している。」
幼い頃の私はただ漠然とそう感じていたのだ。
もし私の推測が正しければ…
この話は非常に悲しく恐ろしいものになる。
できればこんな事は想像したく無いのだが…
彼女が探していたもの…
それは…
我が子の身体の一部。

彼女は死しても尚、我が子の身体を探す為、この世に留まった。

幼い私にそこまで推測する思考は無かった。
あの時、彼女は私を見て何を思ったのだろうか…。
私を我が子と重ねたのか…それとも妬みか…。
私をじっと見つめていた恨めしそうな目…
不自然に折れ曲がった首…。
幼き故、彼女に恐怖を感じなかったのは幸いだったのだろう。



一覧    表紙