ゆらりお化け


これは私が小学生の時のお話。

私が小学生に入学する年の三月、おじいちゃんの家に引っ越す事になった。
私が幼稚園を卒園する頃、私の両親が離婚したからだ。
私はお母さんに引き取られ、お母さんの実家で生活する事になった。
お父さんの顔を見た記憶は殆ど無かったので悲しくは無かった。

三重県宮川村(現在は大台町)、そこが私のお母さんの実家である。
実家は村の中でも外れの外れ、かなりの山奥にあった。
民家と民家の距離は数百メートルはくだらないと言うほどの田舎だ。
それまでは大阪にいたので都会と田舎の暮らしのギャップには驚かされた。
でも、私は都会より田舎の生活の方が伸び伸びできて好きだった。
学校帰りに立ちションは当たり前、草むらで野糞だってした。
都会みたいにお店も無く、トイレが無いのだから仕方ないのだ。
何と言うか、自然と一体化してるなぁと言う感覚が心地良かった。
いや、野糞の話では無く、田舎の生活がだ。

さて、こういう人里離れた田舎では、まるで怪談のような言い伝えが残っている事も珍しくない。
そういった話の殆どは子供を危険な場所に近づかせない為、脅しの意味合いを持たせて昔の大人達が作ったものだ。
私の田舎も例外では無く、小さい頃はそういった類の話をよく言い聞かされた。

おじいちゃんに聞かされた話の中にこういう話があった。

「川で遠くの方にゆらゆら白いものを見ても近づくな。
ゆらりお化けに魂持ってかれちまうからすぐ逃げろ。」

その話を聞いて、川が危険であると言う事を伝えたいんだろうなぁと、幼いながら私は思った。
小さい頃に一度溺れた事があったので海や川の危険は既に理解していた。
だから、私はそういう事を伝えたいのだろうと解釈したのだ。
川では危ないからあまり遠くまで行くなって事なんだろうと。
今考えると我ながら可愛げの無い考え方をする子供だなと思う。
しかし、そんな私の冷静な思惑は見事に覆される事になる。
そう、私はこの目でゆらりお化けを見てしまうのだ。


それは小学二年生の夏休みでの出来事。
夏休みに入ってから、私は毎日のように近くに住む同級生と遊んでいた。
昼過ぎぐらいになると友達が迎えにきて、二人で近くの川に遊びに行く…
雨の日や寒い日を除いて、毎日の日課のように川に行っていた。

ある日、私と友達はいつものように川で遊んでいた。
岩山から飛び込んだり、網で魚を捕まえたり、石を投げて跳ねる回数を競ったり…
私達は時間が経つのを忘れて遊びまくった。

空が夕焼けに染まり始め、そろそろ帰る時間が近づいていた。
山に囲まれているので、夏とは言え意外と日没は早い。
私達は持参したタオルで体を拭き、帰る準備を始めた。
体を拭いていると、友達が何かに気付いた。
「おい、あれ見ろよ。」
友達が川の上流を指さす。
上流の方を見ると、何か白く細長いものが揺れているのが見えた。
「何だろうね?」
私がそう言うと、友達は分からないと言った表情で首を傾げた。

その白く細長いものは200mくらい先に見えた。
遠目で見てもそれが何なのか皆目検討も付かない。
木でも無い、草でも無い、布でも無い…。
その白く細長いものは風も無いのにゆら〜りゆら〜り揺れている。
私達はそれが何なのか興味津々になった。
「よし、見に行こうぜ!」
目を輝かせながら友達が言った。

私達は川の中を歩きながら上流へと進んだ。
川の中はゴツゴツして歩き辛く、近そうでもなかなか辿り付けない。
何とか半分くらいまで近づいたが、やはりそれが何なのか分からない。
「よし、あそこまで競走な!」
じれったく感じたのか、友達はそう言って突然走り出した。

私は駆けっこが苦手だった…。
どんどん友達が遠くなっていく。
「ああ、僕より先に見られちゃう。」
先に答えを知られる事が悔しかった。
友達は先に見たいが為に駆けっこを提案したのだろう。
変なところで優位に立とうとする、子供なんてそんなものである。

こりゃ勝てないなと諦めて、私は走るのをやめて早歩きで川の中を進んだ。
転んで怪我でもしたらもっと悔しいから、どうせなら安全に行こうと思った。
友達は謎の物体に間も無く辿りつきそうな所まで進んでいた。
…と、その時。

「う、う、う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
友達が凄まじい叫び声を上げた。
驚いた私は一目散に友人の所まで駆け寄った。

ようやくの思いで友達のところに辿り着くと…
友達は腰を抜かしガタガタと体を震わせていた。
どうしたのか声を掛けようとしたが、それを聞くまでも無く私は事態を把握した。
その白い物が何か理解したからだ…。

地面から突き出ている白く細長いもの…
それは真っ白で細長い人間の腕だった…。
その腕がゆら〜りゆらりと揺れている…。
その手がおいでおいでと手招きしている…。
生きている人間の手では無い…。

その腕は私の存在に気付いたかのようにゆっくりと私の方へ手を向けた。
次の瞬間、その腕がぬぅーっと伸びて私の顔に迫ってきた。
私の視界はその掌で覆い尽くされ目の前が真っ白になった。

「う、う、う、うわぁぁぁぁぁ!」
私は絶叫し腰を抜かした。
そういや、おじいちゃんが近づくなって言ってたっけ……。
恐怖と後悔の中、意識が薄れるのを感じた。

どのくらいの時間が経ったのだろう…
気が付くと、私は畳の上に寝かされていた。
帰りが遅いのを心配した私と友達のお母さんが川まで探しに来てくれたらしい。
気を失っている私達を見つけ、家まで背負って来てくれたのだと言う。
友達も無事だとの事で私はひとまず安心した。


その日の夜、私はおじいちゃんに川での出来事を話した。
一通り話を聞いたおじいちゃんは私にこう言った。
「ダムが出来るまではな、大雨が続くと川が増水して狂ったように氾濫してのぉ。
家ごと飲み込まれて一家全員が一夜にして亡くなるちゅう事も珍しくなかったんじゃ。
捜索しても必ずしも全員の遺体が見つかるちゅうわけじゃないからのぉ…。
梅雨が長引いて台風が重なったりするとな、捜索が遅れて見つけられへん事もあるんじゃよ。
見つけて貰えんかった仏さんがな、見つけてくれ〜、ここじゃ〜と腕を出して手招きしてるんじゃ。」
「僕、ゆらりお化けに魂持っていかれちゃうん?」
「ははは、大丈夫じゃよ。子供にはちょいとショッキングなもんじゃからな。
魂抜かれる言うて脅してな、なるべく子供が見んようにしとるだけじゃよ。」
「よかったぁ。僕、死んじゃうのかと思ったよ…。」
緊張の糸が切れると同時に私はその場でしくしくと泣き出してしまった。
おじいちゃんは私の頭を優しく撫でて宥めてくれた。

これが小学二年生の夏休みに私が体験したちょっと怖くて少し切ないお話。
おじいちゃんは私が四年生の時に亡くなったけど、それまで色々な話を聞かせてくれた。
他にも不思議な話は色々とあるので、また機会があれば話したいと思う。
今回はここまでと言うことで…。



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