私はたまに好んで一人旅をする。
誰に気を使う事も無く、自分だけの時間を自由気ままに過ごす。 山や海など自然に触れ、のんびり温泉に浸かり、都会の生活で溜まった毒を抜く。 これが私にとって何よりの至福のひと時だ。 これは数年前、群馬県の草津温泉に行った時の話。 私は草津でも有名処とするN旅館に泊まる事にした。 築30年以上は経ってるだろうと思われる木造の旅館だ。 一人旅には近代的なホテルより古い旅館がしっくりくる。 平日だったので予約はせずとも部屋は空いていた。 私は受付を済ませ、案内係の人に部屋へと案内された。 そして、案内された部屋に入った瞬間、少し嫌な空気を感じた。 照明が暗いわけでも無いのに薄暗い印象を持つ部屋だった。 季節は冬だと言うのに、湿った生温い空気を肌に感じた。 その旅館、何気にとんでも無い旅館で…。 部屋の水道の蛇口を捻ったら、真っ赤な水が出てきて 「うわっ!!血!?」と驚いたが… よく見ると、錆びの混じった水だった。 飲料用の水道だったのだが、飲めるはずが無い…。 その水を使って料理が作られているのかと思うと食欲も失せた。 しかも料理は冷めていて冬場だと言うのに寒い思いをさせられた。 歯を磨いた後にうがいだけならと錆び混じりの水を口に入れたら… あまりの衝撃的な味に吐いてしまった。 仕方が無くウーロン茶でうがいをした。 草津の奈…、N旅館はある意味で印象に残った旅館だった。 草津では五本の指に入るほどの有名な旅館なのだが…。 私は早々に夕食と風呂を済ませた。 夜九時くらいには消灯し布団に入った。 歩き疲れた事もあってか私は直ぐに眠りについた。 どのくらい時間が経っただろうか。 ふと、尿意に襲われ目が覚めた。 トイレに行こうと私は目を開けた。 すると、視界の隅っこに何やら薄っすらと光っているものが目に入った。 何だろうと思い、光の方に目をやると… 窓から漏れた月明かりが床の間に置かれた日本人形を照らしていた。 ふと、疑問に思った。 この部屋に日本人形なんてあっただろうか? どう考えても日本人形を見たと言う記憶は無いのだ。 あんな目立つ位置なのに一度も目にしていないなんて変だなと思った。 しかし、寝ぼけていたので差ほど気に留める事も無く私はトイレに向かった。 用を足してトイレから出た。 その瞬間… 「ゴトッ!」 足元で音がした。 何かを蹴飛ばしたのだ。 足元を見ると… 日本人形が転がっている。 さっき見た日本人形だ…! 胴体から首がもぎ取れている。 さっきまで床の間にあったのに…。 まさか人形が歩いてきたなんて事は…。 寝ぼけつつも段々怖くなってきた。 私は部屋から出ようとそろりそろりと出口に向かった。 これ以上何も起きるなと心の中で願いながら出口に向かう。 その時、背後から女の子のか細い声が聞こえた。 「痛い…痛い…痛い…。」 驚いて恐る恐る振り返ってみると… 黒い毛糸の玉のようなものが私に向かって転がってきている。 あれはさっき見た、もげた人形の首…!? 長い髪がぐちゃぐちゃに絡まって、まるで毛糸の玉のようになっている。 それが私に向かってコロコロとゆっくり転がってくる。 どう見ても自らの意思で私の方に転がってきている。 もう間違い無い…、あれは生き人形だ…。 私は逃げるように部屋を飛び出した。 それから朝まで部屋に戻る事はできなかった。 朝になって部屋に戻ると、そこに人形の姿は無かった。 それと無く旅館の人に聞いてみたが、客室に人形など置いていないと言われた。 私が見たものは一体なんだったのだろう。 もしかすると、座敷童の類だったのだろうか…。 |