私の通っていた中学校の旧校舎には大鏡の間と呼ばれる部屋があった。
その鏡に映った自分の顔に向けてライトを照らすと鏡の中の自分がニタリと笑う。 それが私の中学校にあった学校の七不思議の一つだ。 私は当時からそういった話に敏感で、友人Kと夜の旧校舎に忍び込む計画を立てた。 放課後、旧校舎の使われていない教室の窓の鍵を開けた状態にして帰る。 夜になったらその窓から旧校舎に忍び込むという計画だ。 Kとは同じ塾に通っていた。 塾の帰り、私達は旧校舎に忍び込んだ。 旧校舎は木造で築四十年程の建物。 夜の九時くらいだっただろう。 夜の旧校舎は入るのを躊躇してしまう程に不気味だった。 私もKも強がりだったので帰ろうとは言えなかった。 旧校舎に侵入し、暗い廊下を歩いた。 夜の廊下は奥まで見えず永遠に続いているような錯覚に陥る。 板張りの廊下は歩く度にギシ…、ギシ…と軋む音が響き渡る。 何が出てもおかしく無い雰囲気だ。 私達は大鏡の間に着いた。 外に光が漏れるので部屋の照明は使えない。 私達は部屋を懐中電灯で照らす。 鏡は教室の後ろの壁にある。 高さ2m、幅1mほどの枠の無い大きな鏡。 枠が無いので年代は不詳でいつからそこにあるのかは分からない。 もし、旧校舎が建てられた時からあるとすれば、四十年ほど昔からある事になる。 早速、私は鏡に映った自分の顔を懐中電灯で照らした。 ………………。 特に変化は無い。 一分ほど照らし続けるも何も起きない。 残念なような、安心したような、複雑な心境だ。 当然と言えば当然の結果なのだが。 暫くすると、Kがトイレに行きたいと言い出した。 何もこんな時間にこんな場所でトイレに行かなくても… しかし、どうにも我慢できない様子で仕方無くトイレに付き合う事にした。 旧校舎の夜のトイレ…、如何にも何か出そうだ。 トイレに到着し、私は廊下の外で待つ事にした。 もちろん、一緒にトイレに入っても良かったのだが。 Kにトイレの恐怖を満喫して貰うのが狙いだった。 私は奥まで続く長い廊下をボーっと眺めていた。 …、廊下の奥に誰かがいるような気がした…。 と、その時。 「うわあああああああ!!」 Kの大絶叫が聞こえた! 「ど、どうしたー!!」 私はびっくりしてトイレに駆け込んだ。 トイレの中でKがニヤニヤしながら立っている。 「騙されてやんの。ぷぷー。」 そう言うとKは得意気に笑みを浮かべた。 ムカついた私はトイレの下駄を履き、その下駄でKに蹴りを入れた。 無事に用をたしたKと私は大鏡の間に戻った。 大鏡の間に入ると… さっきまでと何かが違う…。 心なしかさっきより部屋が寒い。 私は鏡に向けて懐中電灯の光を照らした。 ……おかしい、鏡が真っ黒だ…。 懐中電灯の光を照らせば、多少は光が映り込むはずだが… 鏡はまるで光を吸収しているが如く真っ黒だ…。 私達は恐る恐る鏡に近づいた。 鏡に私達の姿が映っていない…。 映っているのは闇、それだけ。 鏡が鏡として機能していない。 そんな事が起こり得るのか…? 普通の人ならこういう場面で逃げるのだろうか。 私達は恐怖より好奇心の方が勝っていた。 おもむろに私達は鏡を見つめていると… ギシ…、ギシ…、ギシ…、ギシ… 廊下の方から誰かが歩いてくる音が聞こえた! 「よ、用務員のおじさんか?」 私とKは忍び足で廊下を覗きにいった。 廊下を見るが誰もいない…。 行ってしまったのか? それとも足音じゃなかったのか? 私達は鏡の前に戻った。 すると、今まで真っ黒だった鏡は普通の鏡に戻っている。 私達の姿をちゃんと映し出しているのだ。 私は鏡の中に映った自分の顔に向けて懐中電灯を照らした。 やっぱりただの鏡だ…。 今までのはいったい…。 私が鏡に向けて懐中電灯を照らしていると… 「なぁ…。今さ、鏡に映った俺達の後ろを何かが通り過ぎなかったか?」 突然、Kが妙な事を言い始めた。 「いんや、俺は何も見てない…。もしかして、また俺を脅かそうって魂胆か?」 「ちげーよ!本当に何かが通り過ぎたんだって!」 「だから、何かって何だよ?」 「ぁ…。ぃ、今…、今、鏡見て……。」 Kの声は異常なまでに震えていて、尋常では無い様子でそう言った。 私は恐る恐る、鏡の方を横目で見た。 いた…。 見えた…。 私達の真後ろに…。 セーラー服を着た女…。 髪をだらりと前に垂らした…。 その垂れた髪で顔は見えない…。 髪と髪の隙間から僅かに目が見える…。 大きく見開いた目で私達を睨み付けている…。 私達を睨んだままピクリとも動かない…。 怖い…怖い…怖い…逃げたい…。 動けない…。 女がずっと私達を睨み付けている…。 その目が私達に動くなと言っている…。 恐怖で意識が飛びそうだ…。 …と、その時。 「おい!!」 突如、大きな声が部屋に響き渡る。 その瞬間、セーラー服の女はすーっと消えた。 振り返るとドアのところに用務員のおじさんが立っていた。 「何してんだ!お前ら!」 私達は用務員のおじさんに捕まった。 旧校舎の方から叫び声が聞こえたから見回りに来たとの事。 そういえば、トイレで私を騙す為にKが大声で叫んでたっけ…。 しかし、お蔭であの最悪の状況から離脱ができた。 あのまま用務員のおじさんが来なかったら私達はどうなっていたのだろう。 怪我の功名とは正にこの事か…。 私達は忍び込んだ事を謝った。 そして、見た事、体験した事を話した。 忍び込んだ事は許してくれたが、話は信用してもらえず…。 もう帰れと、早々に私達は学校を追い出された。 家に帰ってから私の体験した事を母に話した。 その時、初めて知ったのだが、母はこの中学の卒業生だった。 母が在学中も既に大鏡は学校の七不思議の一つだったと言う。 しかし、「鏡に映った自分の顔が笑う」と言った内容では無かったと言う。 「夜に大鏡を見ると鏡の中に吸い込まれて戻ってこれない。」 母が在学中はそういった内容の話だったらしい。 あの教室に忘れ物を取りに行った少女がそのまま行方不明になってしまったのだと言う。 私は気になる事があって、当時の地方新聞を調べた。 事前に具体的な情報を得ていたので、あっさりとその記事は見つかった。 その記事には私達の学校名と少女の名前、写真が載っていた。 学校から帰って来ないので捜索願を出したという内容だった。 この記事の少女が、あの夜に見た少女である確信は持てなかったが… 恐らく、この子で間違い無いだろうと思った。 少なくとも髪の長さと服装は一致していた。 あの夜、彼女が私達の前に姿を現したのは、私達に警告してくれたのだろうと今では思う。 「この鏡に近づいてはいけない」と。 彼女の魂はあの鏡の中で今も生き続けているのだろう。 |