多重人格

多重人格者だった恋人の話

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僕が実際に体験した不思議な恋愛についてお話します。

三年程前、僕はある一人の女性と付き合っていました。
彼女は僕よりもいくつか年上だったのですが、子供っぽい雰囲気を持つ人でした。
容姿から喋り方、仕草まで全てが幼い子供のような人でした。
今思うと、彼女は本当に子供だったのかも知れません。

付き合い始めた切っ掛けは、偶然にもお互いに一目惚れだったのです。
もちろん、初めて会った日から交際を始めたのでは無く、それから随分経ってから交際が始まりました。
最初はお互いに容姿から好きになったのですが、喋ってみると趣味などの共通点も多く、気が付くと彼女の全てを好きになっていました。
共通の友達がいたのですが、彼女の事を好きな友人がいた為、仲間内では内緒で交際をしていました。
友人に隠し事をするのはいい事ではありませんが、共有する秘密を持つ事でより親密な関係になっていったのだと思います。
極々普通のカップルで相思相愛、何の不満も無くお互いに幸せな日々を過ごしていました。
しかし、ある日を境に信じられない展開になります。

話の始まりは、彼女と付き合って半年ほど経ったある日の事です。
いつものように彼女が夕飯の支度を、僕はその横でお手伝いをしていました。
料理を作りながら二人で仲良く話をしていると…
何が切っ掛けか分かりませんが、突然、彼女は僕の事を忘れてしまったのです。
半年付き合っていて、今の今まで話していて、喧嘩したワケでも無く、唐突に
「あなた誰?」
と真顔で言われたのです。
僕には何が起きたのか理解できませんでした。
何を話しても僕の事を思い出してくれないのです。
何故、自分がここにいるのか?
何故、知らない貴方と料理を作っているのか?
彼女は僕に質問をマシンガンのように浴びせました。
しかし、状況を理解できず混乱している僕に彼女の問いに答える余裕はありませんでした。
最初はイタズラかと思いましたが、少し落ち着いてから順を追って話をしてみると、どうやら本当に僕の事を知らないみたいなのです。
そして、彼女の喋り方や仕草は明らかに僕の知っている彼女では無かったのです。
言うなれば完全に別人でした。
事態を把握できないまま、僕は自分自身の事や僕の知っている彼女の事などを彼女に話す事から始めました。
そして彼女の話を聞いている内に彼女が多重人格である事が分かりました。
今、話をしている彼女は僕の知らない人格の彼女だったのです。
つまり、彼女からしても僕とは初対面なので、まったく知らない人だったのです。
しかし、僕の事を知ったもう一つの人格の彼女はその後も頻繁に僕の前に出てくるようになりました。
これを境にごく普通の幸せな恋愛から現実離れした特異な恋愛に変わっていったのです。

後になって知った事なのですが、彼女は幼い頃に家族から受けた虐待が原因で人格が分離してしまったようです。
本当に極一部の人にしか当てはまらない事なのですが、そういった虐待などの経験を持つ人の中には、通常の思い出を記憶する場所とは別のところに辛い思い出を記憶してしまう人がいるのです。
簡単に言うと辛い事を記憶する場所が別に用意されているのです。
人の人格は経験…、つまり記憶から作られていると言っても過言ではありません。
辛い事を別の場所に記憶すると、その記憶が溜まるにつれて一つの別人格が生まれてくるのです。
言わば同じ一つの身体の中にまったく違う過去を持った二人の人間が存在するようになるのです。
一つの人格は普通の生活を送ってきた記憶しかないので、とても純粋な子供のような性格です。
社会に出すのが怖いほど純粋過ぎる性格でした。
もう一つの人格は、家族からの虐待など辛い事だけを味わってきた人格です。
精神的にはとても強いのですが、やはり辛い現実ばかりを見てきた為に、考え方が曲がった部分も多く、性格はツンツンしていて突っ張った印象を受ける人格でした。
しかし、彼女は自分が辛い思いをしてまで、もう一人の純粋な自分をずっと守ってきたのです。
気の強い人格の彼女は口調もきつく、多少接し辛いところもありましたが、今まで辛い思いをしてきたのだと思うと、僕は彼女のきつい性格を嫌いになる事はできませんでした。
元々はもう一人の自分を守る為に生まれてきた人格なので、きつい口調の中にたまに優しさを垣間見ることもあり、次第にその人格の彼女の事も好きになり始めました。
純粋な人格が妹だとすると、気の強い人格の彼女はまるでお姉さんのようでした。
知識も豊富なので、もしかしたら今まで殆どの時間は気の強い彼女が過ごしてきたのかも知れません。
それほどに辛い時間が多かったと言う事でしょうか…。
出会った頃の僕は、純粋な人格の彼女を好きだったのです。
気の強い彼女は付き合い始めの頃は、僕の前に出てくる事も無かったからです。

次第に僕は両方の人格を好きになっていたのですが、そこで問題が起きたのです。
気の強い人格の彼女が純粋な性格の彼女に対して嫉妬をし始めたのです。
それは僕が純粋な性格の人格の彼女をも好きだったからです。
それに対し気の強い人格の彼女は強く嫉妬しました。
僕にはどっちか一方の人格だけを好きになる事なんてできませんでした。
人格は二人であれ、身体は一つしかない一人の女性なのですから。
その一人の女性を人格によって好き・嫌いと別ける事など僕にはできません。
ただ僕自身もまるで二人の女性を愛しているような、そんな錯覚に陥っていたのも事実です。
そこで僕が導いた答えは二つの人格を一つにする、つまり多重人格を治すという事でした。
ここまで極端に違う性格を一つにしたらどういう人格になるかなんて想像できません。
しかし、一つにする事は今後の彼女の為を考えても必要な事だと思いました。
僕なりに色々と調べたのですが、多重人格と言うのは一度かかると癖になるらしいのです。
最初は辛い事だけを別の場所に記憶する事から始まるのですが、それに慣れてしまうと無意識に辛い事以外の思い出も複雑に記憶する場所を別けてしまうのです。
その場所が増えれば増えるほど人格も増えていきます。
それは彼女にとって日常で差し支えになる事は言うまでもありません。
僕は彼女の人格を一つに統一させる事を決意したのです。

人格を一つにするのに必要なのは、別々に別れた全ての記憶を繋げるという事です。
それぞれの人格から彼女の記憶を聞き出す事から始まりました。
彼女の記憶をたどって行くと、小学生の頃の親の離婚が原因で母親が暴力を振るうようになった事から人格が別れ始めた事が分かりました。
この時期を境に彼女の兄も暴力を振るい始めました。
背後を蹴られ階段から突き落とされたり、沸騰した鍋の中の湯に顔を突っ込まれそうになったりなど…
殺されてもおかしく無い程の酷い虐待だったようです。
本来ならば守ってもらえるはずの家族に殺されそうになるという、とても残酷な話でした。
頼れる相手のいない彼女は鏡の中の自分に相談して自分自身を慰めるようになっていったのです。
そして、鏡の中の自分が今の自分とはまったく違う人格だと信じ込み、その人格に憧れを抱くようになったのです。
当時、小学生であった彼女にはあまりに過酷な環境だったのでしょう。
行き場を無くした彼女は、自分を守る為に徐々に新しい人格を作っていったのです。
まるで鏡の中の自分を現実の存在にするように…。
この話は気の強い人格の彼女から聞いたものです。
純粋な人格の彼女はまったく知らない事実です。
しかし、その事実を彼女に話さなくては症状は改善されません。
純粋な人格の彼女は家族を愛していました。
家族にも優しかった時期があるのです。
それは両親が離婚する前でした。
全ての歯車は両親の離婚を境にずれ始めたのです。
離婚の事や女手一つで子供二人を養って行く厳しさが原因で、母の精神状態はストレスで限界に達していたのでしょう。
優しかった母は子供に暴力を奮うようになり、それまで仲良く遊んでくれていた兄も次第に彼女に対し暴力を奮うようになり、彼女は孤立していったのです。
純粋な人格の彼女はそんな虐待の記憶は無く、優しいお母さん、頼りになるお父さん、一緒に遊んでくれるお兄さんの記憶しかありません。
そんな彼女に真実を語る事は、家族との綺麗な思い出を壊してしまう事になるのだろうと思いました。
しかし、真実を知らないままでは彼女の症状は改善されないでしょう。

彼女の悲しむ顔を見るのは僕もとても辛かったのですが、ありのままを話す事にしました。
家族による虐待があった事から、中には第三者による性的な虐待を受けた話もありました。
その話を聞いた僕も辛かったですが、事実を知った彼女はもっと辛かった事でしょう。
それを物語るかのように、純粋な彼女は気の強い彼女に何度も入れ替わろうとしていました。
気の強い彼女が出てくる度に、僕は純粋な人格の彼女を出すように頼みました。
そういった事を繰り返しながら、ゆっくりとゆっくりと真実を彼女に伝えて言ったのです。
最初は僕の話を信じず、ただ泣くだけだった彼女も次第に信じ始めました。
時間はかかりましたが、最後には全ての事実を彼女は受け止める事ができました。
せめてもの救いが、家族と彼女は既に離縁しているので二度と虐待を受ける事は無いと言う事です。
彼女には身内がいません。
家族と離縁してからは、付き合っていた彼氏と同棲するなどして暮らしていました。
幸いにも彼女はかなりの美貌の持ち主であった為に、男性には困った様子も無く、恋人と別れたとしてもすぐに新しい彼氏を見つけ同棲をする事ができたようです。
中には多重人格の症状に気付いた彼氏もいたようですが、彼女のあまりの変貌振りについていけずに別れた人も多いようです。
治そうと試みた彼氏もいたのですが、結果的には失敗に終わり、精神的な辛さから別れてしまうケースが殆どでした。
その度に彼女は自分の居場所を探さなくてはいけないかったのです。
そういった不安定な生活が彼女を苦しめたのは言うまでもありません。

記憶の糸を繋げていくにつれて彼女に変化が表れ始めました。
今までは一人の人格が出ている時はもう一人の人格は暗闇の中に閉じ込められて身動きが取れないような状態であったようですが、症状が改善するにつれてその暗闇が無くなっていったのです。
暗闇が晴れる事によって、一人の人格が今何処にいて何をしているか、もう一人の人格が認識できる状態になったのです。
少なくともこれからは、それぞれの人格で記憶が違ってくる事は無くなったのです。
それから毎日のように彼女の記憶が分離しないように、一日の終わりに今日は何をしたかなど詳しく聞くようにしました。
普通の人には簡単な事でも彼女のように記憶障害を持つ人にとっては、一日全ての行動を正確に思い出す事は容易な事では無いのです。
それでも日が経つに連れ、彼女の症状が次第に良くなっていくのが分かりました。

そして、暫く経ったある日…。
ついに彼女の中の二つの人格が一つになる時が来たのです。
これほど突然に多重人格の症状に終止符を打たれるなど思ってもいませんでした。
もしかしたら、彼女の中の暗闇が取り除かれた時から、いつでも多重人格を治せる状態にあったのかも知れません。
あとは彼女の決意次第だったのでしょう。
彼女の話によると、多重人格を治すにはどちらかの人格が今後の人格のベースになる必要があるようなのです。
つまり、どちらか一方の人格は完全に消えてしまうという事です…。
もちろん、僕にはそれを選ぶ事はできません。
もし選ぶ事ができたとしても、僕には答えは出せなかったでしょう。
消えてしまう人格にとっては、それは永遠の眠りなのです…。
僕は二つの人格を共に同じくらいに好きでした。
二人の人格を愛していた僕にとって、どちらが選ばれるにせよ、それを受け入れる事ができそうにありませんでした。

僕の心の準備も出来ていない内に
「消えるのは私の方だよ。」
と、気の強い彼女が言いました。
気の強い彼女が今まで見せた事のないくらいに悲しい顔をしていました。
今思うと、彼女自身、どちらの人格がベースになるかなど選ぶ事はできなかったのでしょう。
ただ、僕に気を使って…、まるで彼女自身の意思で消える事を決意したかのように…
そう演じようとしていたのではないでしょうか…。
元々、彼女は純粋な人格を守る為に生まれてきた人格です。
自分の存在意義から残るのは自分じゃない…、そう自覚していたと思います。
僕は彼女との思い出など絶え間なく話し、最後の時間を過ごしました。
絶え間なく話しをした事は、彼女の気を紛らわす為でもありましたが…
何よりも、話を止めたら、すぐに彼女が消えていなくなってしまいそうだったからです。
彼女は何も言わずに話す僕の顔を見つめていました。
彼女に僕の声が届いているのか、それさえも分かりませんでした。
それでも僕は話を続けました。
しかし、彼女の意識が薄れていくのがはっきりと分かりました。
意識の限界を感じたのか、彼女は少し笑みを浮かべて
「ありがとう…。」
と、呟きました。
それが彼女の最後の言葉です。
彼女は小さな体を震わせ、大粒の涙を流していました。
気の強い彼女が見せた最初で最後の涙です。
僕は震える彼女の体を包み込む様に抱きしめました。
もっと話をしたかったけど言葉にする事もできず、そのまま静かに抱きしめていました。
本当にこれで良かったのか?
と、僕は何度も何度も自分の胸に問い掛けました。
そんな僕の想いとは裏腹に、彼女は苦しみから解放されたかのよう、まるで生まれたての赤ちゃんの様な表情を浮かべていました。
彼女を苦しめてきた全ての物を心の底から憎みました。
家族から愛を与えられず、虐待を受け、性的な暴行など受け、幼い心に深い傷を負い…。
何が起きているのか、誰に助けを求めてもいいかも分からない。
とても言葉では表せない程に、辛く悲しい体験をしてきたのでしょう。
「もう何も辛い事は無いよ…。」
せめて今だけでも気持ちよく眠りについて欲しいと願いました。
彼女が消えた後、彼女が存在した事を証明するものは何も残りません。
人の死は記録に残りますが、彼女のように人格だけの存在では何一つ記録には残りません。
彼女にとって、それは言い表せない程の孤独感だったと思います。
「体が二つあったらいいのにね。」
時折、彼女が言っていた言葉の意味の深さを改めて感じさせられました。

暫くすると、彼女の体の震えも収まり、彼女は深い眠りについた様でした。
僕は眠る彼女を静かに見つめていました。
このまま目を覚まさないかと思う程に静かに眠っていました。
それからどのくらいの時間が流れたのか、僕には分かりません。
ふと、彼女の体が動いたかと思うと、彼女は目をゆっくりと開けました。
その眼差しは、今まで僕と話していた彼女のものではありませんでした。
目を覚ました彼女は、幼さは残っているものの何処か垢抜けたような、そんな印象を受けました。
気の強い彼女とまではいきませんが、何処と無く大人っぽく見えました。
二つの人格が一つになったようです。
僕も彼女も望んだ結果です。
彼女が生きていく為、そして、僕と彼女が一緒にいる為。
そう信じてやまなかったから、二人で困難を乗り越える事ができたのです。
しかし、人格の統合は想像もしない結末を招いたのです。

一見、今までで言う純粋な人格の彼女なのですが…。
記憶が繋がり全てを知った彼女は、今までの彼女とは大きく違うところもありました。
記憶が繋がる事で人を知り、人を疑う事を覚えました。
人を疑う事は時には必要な事です。
しかし、僕は疑う事を知らない純粋な彼女に惹かれていたのも事実です。
望んだ結果であるはずなのに…、僕は不安を感じ始めていました。
彼女は、僕を含めたこの世の中に対する見方が変わりました。
疑う事を知った彼女が、僕だけ疑わないなどと都合の良い事はありません。
彼女には今まで経験してきた全ての記憶があるのです。
幼い頃にあのような辛い経験をした彼女が、そう簡単に人の事を信じれるはずは無いのです。
二つの人格を一つにすると言う事は二つの人格を失う事…。
そう気付いたのは僕と彼女の関係に終焉が迫っていた頃でした。

僕は彼女の多重人格を治す事に二人の未来があると盲目的に信じるあまり、一つになった彼女にどのような変化が起きるかなど考えもしなかったのです。
一時期は結婚という話も出ていたのですが、次第にそういった話をする機会も無くなってきていました。

そして時は経ち、僕と彼女は別れる事になりました。
別れた事は辛かったのですが、それでも月日が経つにつれ精神的にも落ち着きを取り戻し始めました。
あの時の状況の変化に耐えれる程に、もう少し僕に精神的な強さがあればと悔やみました。
しかし、多重人格が治った事で彼女の為になったのならそれは満足です。

あれから数年の月日が経ちました。
彼女が受けた幼い頃の心の傷は一生背負い続ける事でしょう。
だけど、せめて今は幸せな生活を送っている、そう信じ願います。



最後まで読んで頂いて本当に有難う御座います。
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