多重人格

記憶の糸を繋げていくにつれて彼女の症状が目に見えて改善されて行くのが分かりました。
今までは一人の人格が出ている時はもう一人の人格は暗闇の中に閉じ込められて身動きが取れない状態であったようですが、症状が改善するにつれてその暗闇と言うのが無くなっていったのです。
つまり暗闇が晴れる事によって一人の人格が今、何処にいて何をしているのかがもう一人の人格が認識できる状態になったのです。
これで今後はそれぞれの人格で記憶が違ってくる事は無くなったのです。

暗闇が取り除かれてから数日後、ついに彼女の中の二つの人格が一つになる時がきました。
想像では少しずつ症状が改善されていくものと思っていたのですがある日突然、多重人格の症状に終止符を打たれるとは思ってもいませんでした。
もしかしたら彼女の中の暗闇が取り除かれた時からいつでも一つになれる状態だったの知れません。
あとは彼女の決意次第だったのでしょう。

彼女の話によると多重人格を治すにはどちらかの人格が今後の人格のベースになる必要があったのです。
それはどちらか一方の人格が完全に消えてしまうという事らしいのです。
もちろん僕には選ぶ事はできません。答えは彼女自身の中で決められる事なのです。
もし選ぶ権利があったとしても僕には答えは出せなかったでしょう。
何故なら僕は二つの人格を共に同じくらいに好きだったわけですし、消えてしまう方の人格にとってはそれは永遠の眠りなのですから…。
二人の人格を愛していた僕にとってはどちらが選ばれるにせよ辛く悲しい事です。

僕の心の準備も出来ていない内に気の強い彼女が「消えるのは私の方だよ。」と言いました。
気の強い彼女は今まで見せた事のないくらいに悲しい顔をしていました。
元々彼女は純粋な人格を守る為に生まれてきた人格です。
自分の存在理由から残るのは自分じゃないと判断したのでしょう。

僕は彼女との思い出など絶え間なく話しました。
それは彼女の気を紛らわすためでもありましたが、話を止めたらすぐにでも彼女が消えていなくなってしまいそうだったからかも知れません。
彼女は何も言わずに話す僕の顔を見つめていました。
彼女の耳に僕の言葉が聞こえているのかも分かりませんでしたがそれでも僕は話し続けました。
しかし彼女の意識が薄れていくのがはっきりと分かりました。
意識の限界を感じたのか彼女は少し笑みを浮かべて
「ありがとう…」
とつぶやきました。
それが彼女の最後の言葉です。
彼女は小さな体を震わせ涙を流していました。
気の強い彼女が見せた最初で最後の涙です。
僕は震える彼女の体を包み込むように抱きしめました。
もっと話をしたかったけど言葉にする事もできずにそのまま静かに抱きしめていました。
本当にこれで良かったのか?と僕は何度も自分の胸に問い掛けました。
そんな僕の想いとは裏腹に彼女は苦しみから解放されたかのようにまるで生まれたての赤ちゃんの様な表情を浮かべていました。
彼女を苦しめてきた全ての物を心より憎みました。
家族から愛を与えられずに虐待を受け、性的な暴行なども受けた人生。
誰に助けを求めてもいいか分からない。
言葉では表せない程に辛かったのでしょう。
「もう何も辛い事は無いよ…」
せめて今だけでも気持ちよく眠りについて欲しいと心から願いました。
間もなく体の震えも収まり彼女は眠りについた様でした。

僕は横に眠る彼女をずっと見つめていました。
このまま目を覚まさないかと思うほどに静かに眠っていました。
暫くして彼女の体が少し動いたかと思うと彼女は目をゆっくりと開けました。
それは今まで僕と話していた彼女ではありません。
目を覚ました彼女は純粋な性格の人格を少しあか抜けさせたような雰囲気でした。
気の強い彼女とまではいきませんが、純粋な性格の彼女は何処となく見た目も大人っぽくなっていました。
どうやら二つの人格が一つになったようです。
もちろんそれは僕も彼女も願っていた事なのですが、僕にとっては失ったものも大きかったようです。

一見、今までで言う純粋な人格の彼女なのですが記憶が繋がり全てを知った彼女は今までの彼女とは大きく違うところもありました。
記憶が繋がる事で人を知り人を疑う事を覚えました。
確かに多少は人を疑う事も必要です。
しかし疑う事を知らない純粋な彼女を僕は好きだったのも事実です。
望んだ結果であるはずなのに何処か僕と彼女の歯車が噛み合わなくなっていました。
一時期は結婚の話もしていたのですが次第にそういった話をする機会も無くなっていました。

それから暫くして僕と彼女は別れる事になりました。
結局、最後まで僕は彼女に馴染む事ができなかったのです。
僕自身、精神力を使い果たしていた事もあり人格が一つになった彼女を見る気力も残っていなかったのです。
僕の精神的な弱さが仇になった別れでした。
最後の最後に僕自身で彼女を幸せにする事ができなかったのが悔やまれます。
せめて彼女が今、幸せな生活を送っている事を願います。
そして虐待で苦しむ人達が少しでも減ってくれる事を願います。

→自己紹介
←表紙に戻る